大塚 利兵衛 (オオツカ リヘエ)

1922-2021
-Rihee Otsuka-
誕生日
19221031
命日
202116享年99歳
出生地
静岡県藤枝市
死没地
東京都日野市
ページ作成日
2021年11月16日 (最終更新日: 2023年08月30日 )
ページ作成者
大塚哲也
(故人との関係:長男)
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経歴

1922年10月31日、静岡県藤枝市に生まれる。

学徒動員で戦地に赴き、マレーシアで終戦を迎え、終戦後同国の刑務所で捕虜となる。
昭和22年(1947年)に帰国。

昭和24年(1949年)中央大学法学部卒業、NHKに入局。
釧路・札幌放送局などを経て、昭和28年(1953年)より東京勤務。

アナウンス部専門部長、報道局社会番組専門部長、特別職主幹などを歴任。
昭和34年(1959年)の伊勢湾台風では、この台風による猛烈な豪雨などによって水没した名古屋市内を取材し現場取材を重視するアナウンサーとして活躍。
昭和35年(1960年)以降午後7時のテレビニュースを中心に国会中継、各種選挙開票速報、組閣、経済番組などのTVキャスターとして活躍し常に斬新な手法を取り入れて時代に先駆ける新境地を開拓した。

加えて、昭和43~45年(1968〜70年)の間“スタジオ102”を担当し、お茶の間の顔として親しまれる。
欧米各国、ソ連、中国、東南アジア各国などを数回に亘り訪問し、国際情勢、政治・経済の各分野についても造詣が深い。

昭和57年(1982年)退職。その後フリーアナウンサー・ジャーナリストとして活躍。
NHK教育TV“産業セミナー・新商業経営”を担当。流通業界のPOS普及に大きく貢献した。
平成2年度(1990年)からは“産業情報90”などで、流通情報システム化番組の企画・制作などを担当。
日本商工会議所、全国商工会連合会、共済農業組合連合会、流通システムセンター、株式会社資生堂などの講師の他、電通、博報堂、NHKサービスセンター、NHKエンタープライズ、NHKエデュケーショナルなどのイベントや番組作りに参画。
また、“農政ジャーナリストの会”会員として、日本農業の現状・将来像についても研鑽を重ねた。

思い出

制作中

アルバム

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